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ローマの噴水

WEBサイト『ローマの噴水』は、佐々木学の論文を一部修正(図表・注記を省略)したものです。

佐々木学,『博士論文:噴水建設の変遷にみるローマ都市史』, 2008.


目的と背景

本研究の目的は、紀元前19年から1762年にかけてのローマにおける噴水建設の特徴を、起伏の多いローマの地形条件から受けた影響に着目しながら、明らかにすることである。

紀元前312年にアッピア水道が建設されてから西暦223年にアレクサンドリナ水道が建設されるまで、ローマには11本の水道が建設された。そして、紀元前19年に、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによってウィルゴ水道が建設され、水道を利用した公衆浴場、人工池、人工水路、水汲み用水槽、噴水などが設置されると、ローマは「水の豊かな都市」として発展した。その後、歴代の皇帝によって、ローマにはさらに、水道を利用した公共施設が建設されることになった。4世紀から6世紀にかけての蛮族の侵入や自然災害によって、古代ローマ水道の多くは崩壊し、水道を利用した公共施設も機能しなくなったが、1570年から1612年にかけて、3本の古代水道が修復または再建されると、ローマ市内の広場に噴水が設置され始めた。古代に建設された公衆浴場や人工池が再建されることはなかったが、生活用水を供給する役割のある噴水は増加し続けた。そして、17世紀から18世紀にかけて、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニをはじめとする著名な建築家が噴水建設に取り組み、ローマの噴水様式は発展し、1762年には、「水の豊かな都市」の記念碑といえるトレヴィの泉が、ウィルゴ水道を利用して建設されることになった。このようにしてローマは「水の豊かな都市」として再生することになったのである。

古代ローマと16世紀以降のローマの文化、習慣、建築技術、建築様式などは、異なっていた。それにも関らず、16世紀以降の都市計画は、噴水を利用して「水の豊かな都市」という古代ローマの都市理念を再生させることに成功したのである。したがって、ローマにおける水を利用した都市の建設と再建の過程を明らかにすることは、今後の都市開発と都市再生のあり方を考える上で、大きな手がかりを提示することになると考えられる。

噴水の建設は、市民の生活に不可欠な都市基盤として、また、都市景観を構成する要素として、重要な都市建設事業の1つであった。それにも関わらず、既往研究において、噴水の建設が都市計画の一環として論じられることは少なかった。

噴水に関する既往研究は美術史の分野で展開され、都市史や都市計画の分野では詳しく論じられてこなかったのである。また、ローマ都市史は、街路、広場、大規模建造物、宗教施設などの建設に着目して論じられることが多かった。

そこで本研究では、都市計画の変遷を噴水建設に着目しながら論じることで、ローマ都市史の解釈に新たな見解を提示しようと試みた。

これまで、噴水建設計画を都市計画の1つとして論じることが難しかった理由は、2つ考えられる。1つは、15世紀以前に建設された噴水の多くは消失し、16世紀以降に建設された噴水も後年に改築されたため、建設当時の噴水の形態、つまり、噴水によって構成された都市景観が不明瞭だったことである。もう1つは、16世紀以降の噴水建設計画は、起伏の多いローマの地形条件に左右されて、変更されることがあったため、噴水の現状から、都市計画としての統一的な視点を読み取ることが難しかったことである。

そこで、本研究で着目したのは、既往研究において噴水の建設背景、建設年、建設者、建設費などを理解するために活用されてきた文書である。これらの文書から噴水の配置計画と噴水の形態に関する記述を抽出して整理することで、各時代の噴水建設計画の特徴を明らかにする。さらに、市内到達点における水道の水位、噴水設置場所の海抜、噴水の水の噴き上げ高の3つを比較することで、起伏のあるローマの地形が噴水建設計画に与えた影響について考察する。