我が家には、家相学や方位学に関する古文書が大量に保管されています。

私自身、すべての内容を把握しているわけではありません。

重要だと思うものだけを選んで読むようにしています。

 

実は、『観濤放言』の価値を理解したのは最近のことです。

この書物が段ボールの中に保管されていることは把握していました。

特に価値があるとは思っていなかったので、長い間、放置していたのです。

この肉筆書の作者は「松浦筑後」と記されていました。

尾島碩聞の『家相新編』(明治34年)によると、松浦筑後は、松浦琴鶴の孫弟子でした。

松浦琴鶴は、江戸時代後期の家相・方鑑の大家で、現代の家相学や方位学に最も影響を与えた人物です。

琴鶴が書いた肉筆書であれば価値がありますが、彼の孫弟子の書物には、あまり興味が持てませんでした。

 

しかし、少し前に古文書を整理していたら、この書物あったので、パラパラとページをめくっていたら、落款が押されていることに気が付きました。

そこには、「松浦純逸」「琴鶴純逸」と記されていました。

この印があるということは、松浦琴鶴が作者であることを意味しています。

純逸は松浦琴鶴の別名だからです。

 

ちなみに、この肉筆書の冒頭付近には「琴鶴」という印も押されていました。

この印があることは、前から知っていて、「孫弟子の書に琴鶴が印を押したのだろう」と思っていました。

でも、よく考えると、それは少し奇妙です。

尾島によると、筑後と言う人物は、厳密にいうと、浪華の琴鶴一門ではありません。

 

琴鶴の弟子に鶴洲という人物がいました。

この男は、琴鶴の養子になり、松浦幸最を名のるようになります。

しかし、浪華の一門は琴鶴の息子が継ぐことになったので、幸最は京都で自分の一門を築きました。

筑後は京都の幸最の弟子だったので、浪華に住む琴鶴に直接指導を受けたわけではありません。

 

そこで、よく調べてみると、実は、松浦琴鶴には「筑後」という別名があったことがわかりました。

また、「観濤閣」という別名もありました。

上の図にある「松浦筑後著述」「観濤閣之記」というのは、この肉筆書を松浦琴鶴が書いたことを示していたのです。

 

松浦琴鶴は、日本における九星学の祖と言える人物なので、彼が書いた秘伝書はとても貴重です。

そこで、草書体をすべて新字体に書き換えて、精読することにしました。

 

※なお、尾島碩聞の著作に書かれた「松浦筑後」とは、松浦越後のことだと思います。松浦越後は、京都の幸最の門人で、複数の著作があるからです。

 

私は、単に著者が偉大だと言うだけで、『観濤放言』を薦めるつもりはありません。

私がこの本を気に入っている理由は、福元宮に関する記述があったからです。

 

現代の家相では、生まれた年の干支や九星の方位にトイレを置いてはいけないとされています。

このような家相説は、古法ではあまり見かけません。

 

しかし、松浦琴鶴の『観濤放言』には、本命星の方位を福元宮と呼び、そこに井戸や厠(かわや)などの不浄物を置いてはならないと明確に記されていたのです。

(後天定位における本命星の方位のことなので、方位学の本命殺とは異なります。)

また、生年の十二支の方位も「神霊静座する所」なので不浄物を置くべきではないと書かれています。

 

生年を重視した鑑定方法が記された江戸時代の肉筆秘伝書は、とても価値があると思います。

 

なお、『観濤放言』には暗剣殺に関する興味深い話も書かれています。

暗剣殺の剋害は、本命星によって、重い場合と軽い場合があるという説です。

 

『観濤放言』はページ数が少ない小冊子ですが、なかなか読みごたえがある書物だと思います。

 

※興味を持つ人も多いだろうと思い、複製本と翻刻小冊子(新字体)を作成しました。